こんにちは、”朝5時ブログの女” なつみです。
今日は、こちらの本を読みましたので、その話を書きたいと思います。
「モヤッてる」というのは初めて聞いたんですが、 最近特によく「モヤモヤ」という言葉を聞く。私にとって「モヤモヤ」した状態とは、自分の中にある課題が、言語化されていない、見える化されていない状態。
それをうまく言語化してもらえると、スッキリする。読み終えたときに、そんな感覚を得た本でした。
こちらが著者のジェーン・スーさんのツイート。中野信子さんとの共著です。
この本について、篠田真貴子さんが書評をnoteに書かれていて、これも合わせて読みました。
篠田さんも書かれているように、社会規範という「システム」のなかで、女性であるが故に抱えた課題を「バグ」として、本の中で表現されています。
「システム」と「バグ」について補足すると、
こんなイメージで、どこかのWebサイトにアクセスできないというときに、そのWebのシステムに、なんらかしらバグがあって、それを取り除いてあげると、アクセスできるようになる。
女性であるが故に抱えた課題を話そうとすると、だれかと対立してしまう。そんな対立も、なんか違うと思っていて、なんとなく見て見ぬふりをして、あえてモヤっとさせていたのかもしれない。
女性であるが故に抱えた課題は「バグ」である
ここまでハッキリと言ってくれたことにスッキリ。そして「バグ」と考えてみると、だれかと対立するのはおかしいと思えてくる。
- 「バグ」だから、自分のせいと思わなくていいよ
- 「バグ」だから、だれも悪くないよ
- 「バグ」だがら、直せるよ
いくつか、本の中から引用させていただきます。
女らしくない自分は不完全だから、自分に自信が持てない。自分に自信が持てないのはつらい。だから「女らしさ」を手に入れて自信をつけよう。一見、至極まっとうな考え方ですが、これは罠です。なぜなら本章にもあるように、自信満々な女は女らしくないとみなされるから。
この文章には、すごく共感しました。
女らしさ = ちょっと控えめ。サポーター的な役割。
というイメージがある社会規範(システム)
のなかで、女らしくない → 女らしさを手に入れよう → 自信つけよう → 自信がでた → 女らしくない
これが、バグ の1つの例。
なぜ多くの女性が自分に自信を持てないのかを考えると、「自信満々じゃないほうが女らしくてかわいい」と刷り込まれてきたのもひとつ
「女らしさ」を解約しないと「自分らしさ」が持てないのはバグ
もう1つ引用します。
女らしさの社会規範に従い続けていくと、誰かにとってのベストサポーターにはなれるかもしれないけど、自分は何がしたいか、どう生きたいかを自由に考えて決めるのが難しくなることがある
なるほど、今まで社会のなかで培われてきた「女らしさ」 = ちょっと控えめ。サポーター的な役割 などが、自分がなりたい姿にマッチしているのであれば、生きやすい。そうでなければ、「女らしさ」=「 自分らしさ」が成立しない構図になってしまう。これも、バグの1つ。
なんとなく気づいてはいたけど、自分の中ではクリアになってきました。
中野さんも私も、女らしさを解約したことでようやく自分に自信が持てるようになったってことだ
なるほど、「女らしさ」を解約して、「自分らしさ」を持てるようになると、自分に自信が持てるようになる。
女性活躍推進が抱えているバグ
私自身は、 女性論を訴えて、だれかと対立するみたいなことはしたくない。ただ世の中の「女性活躍推進」の流れは、すごく興味があって、もっと推進していきたいと思っている。そして、最近はそんな話をすることも増えてきた。女性活躍推進の中でよく話されるのが、「企業の中で女性リーダー比率を増やそう」というテーマ。
そのときにぶち当たるのが、みんなはっきりとは言わないけど、なんとなく男性 vs 女性 みたいな構図になってしまう。さらには、気づいたら女性 vs 女性 の構図になっているときもある。
- 男性側からすると、女性にポジションが横取りされる、女性が優遇されていると感じてしまう。
- 女性側からすると、女性だからと言って”げた”を履きたくない。男性側から”げた”を履いていると思われたくない。
女性だったことで何かに困った経験があるとか、はっきり言えることは無いと思っていた。でも、この本を読んで、社会規範というシステムの中で抱えていたバグに気づきました。私がやりたいのって、だれかと対立することじゃなくて、このバグを取り除いていきたいだけ。
そもそも「女性活躍推進」は「女らしさ」とは相性が悪い
いくつか引用させていただきます。
男らしさ=支配、女らしさ=被支配の構図が無意識的にある
そもそも「女らしさ」を追求しようとすると、リーダーは合わないということになる。
仕事ができない男の課長はいても、仕事ができない女の課長はいないからね。「仕事も家庭も完璧です」的な女性像なんて、「男性優位社会」が押しつける幻想
そして仮にリーダーになったとしても、家庭をしっかりやっている「女らしさ」も追求してしまう。つまりスーパーウーマンを目指そうとしてしまう。
今後は「仕事ができない女性管理職」が爆誕していいんですよ。「できる女」幻想みたいなのが激しいじゃないですか。
この発想は無かったので、おもしろい。
私はクォーター制(議員や会社役員などの女性の割合をあらかじめ一定数に定めて、積極的に起用する制度)の導入には大賛成。今の「優秀な女性は私生活を犠牲にして昇進」ってやり方のままでは、下の世代が続かないよ。「私はあんなに優秀じゃないから無理」とか「仕事以外の人生も大事にしたい」と逃げ腰になっちゃう。
私もクォーター制には賛成なので、この言葉には共感しました。
「あなたは選んだ答えを正解にできる人だ」
「あとがき」で中野信子さんが書かれていることが、すごく良かったです。
あなたは選んだ答えを正解にできる人だ
「あらかじめ決められた正解を選ばされる人生」を送ってきた、呪いをかけられるように、正解を選びなさいと繰り返し言われてきた。それに対する疑問があって、「あなたは選んだ答えを正解にできる人だ」と言われたことが、すごく嬉しかったそうです。
正解 を 誰よりも早く選ぶ努力なんて、もうやめにしませんか。一見、 想定外 であったり、 失敗のように 見える結果の中 に、新しい喜び や 未来 が ある。 それを見つけ、選んだ答えを正解にしてきたのが、 私たち人類 の 生存 戦略 ではないか。
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