昨日は、サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』の読書会に参加しました。
NHK「ハーバード白熱教室」の効果もあり、本書は2010年代を代表するベストセラーのひとつとなっています(2020年2月10日現在99万部。電子版を含む)。
正直かなり難しい表現もあったりして、読むのを挫折しそうになりながら、YouTuberサラタメさんの解説動画が分かりやすかったです。
サムネイルが、ドギツいですね。
あとは、こちらの記事も分かりやすかったです。
【特別授業】サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を読み解く
「正義」の3つのアプローチ
この本で書かれている「正義」のアプローチには3つあります。
- 幸福の最大化
- 自由の尊重
- 美徳の促進
このなかでサンデル教授が推しているのが、「美徳の促進」。
なぜ、サンデル教授が「美徳の促進」を推しているかというと、それ以外の2つ「幸福の最大化」と「自由の尊重」には、大きな欠点があるから。
それを書いていきたいと思います。
「幸福の最大化」
「最大多数の最大幸福」と言われる考え方で、「功利主義」と本では表現されています。
個人的には、「功利主義」という表現は、なじみがなくて、ちょっとしっくりこなかったです。
要は「多数決」なので、数が多い方の考え方が「正義」とされる。合理的でわかりやすい考え方ではあるものの、少数派の意見は採用されないという大きな欠点がある。
たとえば、有名なトロッコ列車の例だと、
「そのまま列車が走ってしまうと5人がひかれてしまう。1人を線路に押し倒せば、その5人が救われる。あなたなら、どうしますか?」
「幸福の最大化」の考え方では、5人の命を救えれば、1人の犠牲もやむを得ないとなる。
果たして、それでいいのだろうか。
「自由の尊重」
そこで出てきたのが、「自由の尊重」という考え方。
個人の自由や、人権を重んじる。
少数派の意見も受け入れられるので、ダイバーシティとか多様性という観点では良さそう。
でも、個人の自由であれば、何でも正義となってしまう。
たとえば、税金は国が徴収するのではなく個人が好きなようにお金を使えば良いとか、臓器売買や売春も肯定されるとか。
このような行き過ぎた自由至上主義をリバタリアンと呼ぶようです。
私もたまにTwitterとかで、それは自由とか、多様性とかと違うんじゃないかと思って、モヤモヤする事例があったりします。
最近の例だと、選挙の公示ポスターに、グラビアアイドル的な露出度の高い写真を使っていいかどうかとか。
これを、「多様性だ。個人の自由だ。」という自由を尊重する?派の意見と、「これは道徳的に良くないんじゃないか。」という派の意見で割れているのを見ました。
「美徳の促進」
サンデル教授は、「幸福の最大化」と「自由の尊重」には重大な欠点があるから、「美徳の促進」を推しています。
これはコミュニタリアニズム(共同体主義)とも呼ばれる考え方で、所属するコミュニティ(国、宗教、団体など)で、それぞれの共通善を見つけていこうとすること。
サンデル教授は次のように主張しています。
正義にかなう社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。正義にかなう社会を達成するためには、善き生の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはならない
『これからの「正義」の話をしよう』
正義について、議論しつづけようとサンデル教授は言っています。
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