『遊ぶが勝ち』

こんにちは、”朝5時ブログの女” なつみっくすです。

このあいだ、書いたブログが500記事になりました! ということをこちらのブログで報告しました。

今日でブログ500記事!また新たな悩みが出てきた

「自分でブログを書くハードルをちょっとずつ上げてしまう」

ということを書いたのですが、それについてコメントいただきました。

やろうと思えばどんどん欲が出てアウトプットや行動に移したい気持ちが溢れてハードル上がるのがよく分かります。
ハードルといえば為末さんの本、遊ぶが勝ちを初購読しました。
ワクワクする気持ちが義務感やプレッシャーに変わると、もはや遊びではないですね。経験則に基づき面白い本でした。
この週末は走りながら考えるを読みます。
動きながら、無理のないよう楽しんで継続しましょう♫

ものすごくうれしかったです!

このブログで為末さんの本を紹介していたので、それもあって、為末さんの本について、コメントを書いていただいたのだと思います。

私のブログをいつも読んでいただいていて、まだ1度もお会いしたことはないのですが、そのコメントに私がどれだけ励まされているか。口下手の私には言い表わせないのですが、とにかくうれしいです。ほんとに、いつもありがとうございます!この場を借りて、お礼をさせてください。

そして、このコメントに書いていただいた『遊ぶが勝ち』。

未読だったので、私も読みました!

為末さんの現役時代の葛藤が分かりつつ、「遊ぶ」ことの大切さが身にしみる本でした。

そもそも「遊び」とは何か?

さいしょに「遊び」とは何か? を考えたいと思います。

この本には、こう書かれていました。(一部抜粋)

遊びは真面目と対立しない。

遊びは不確実をともないがちだ。

遊びは義務化された瞬間に消える。

遊びは失われやすい。

遊びは自由である。

遊びの目的はそれそのものにある。

遊びは・・・楽しい。

そう、「遊ぶが勝ち」なのだ。

大人になると、どんどん「遊ぶ」ことが少なくなってくる。仕事などの社会の役割に縛られてしまい、お金をもらうことなどの、報酬を求めることも多くなる。

私は、この「遊び」のことを読んで、母親アップデートコミュニティの活動は、私にとっては「遊び」なんだと思いました。

というのも、上に書いてあること、全部当てはまっている。

遊びは効率的ではない。寄り道をしたり、時々突拍子も無いことをしてしまったり、もしくはそもそも意味がなかったりする。なぜなら遊びは遊びそのものが目的で、人は遊ぶために遊んでいるからだ。

この「寄り道」とか、「時々突拍子も無いことをしてしまったり」とか、めちゃくちゃ分かります。

だって、遊びは遊びそのものが目的だから。

人間にしかできないことがこれから先の社会に求められているとしたら、僕は遊びの中にヒントがあると思っている。遊びで磨かれた五感的な直感、遊びを入れる感覚、楽しいという気持ち。

大人が遊び続けるのはとても難しい。社会から役割を与えられ、常に目的を問われ、ノルマに追われる社会の中で遊び続けることはとても難しい。でも、その中でどう遊ぶかというのが人間の知恵であり、また人間にしかできないことなのではないだろうか。

ここの一文は、本の最後に書かれていることですが、共感でした。

AI時代と言われて、「人間にできることは何だろうか?」という問いは、多くの人が持っていると思います。

まさに、この「遊ぶ」ということは、人間にしかできないこと。

それから、この前アカツキの代表である塩田さんが、このようなことを言っていました。(ちなみにアカツキは、ゲームなどのエンタメを創っている、遊びに本気で向き合っている会社です。)

人間にとって一番楽しい「遊び」は、自己表現すること

アカツキ 塩田さん

そのなかで補足として言われていたのが、イベントもただ単に見るより、イベントを創るとか出演する側が楽しいということ。

今の私なら、この言葉の意味にすごく共感できます。

「want to」か「have to」か?

この本のなかでは、為末さんがハードルを「楽しい」と思ってやっていたものから、「メダルを獲らなければならない」と思ってやるものになってしまった葛藤が書かれていました。

「want to」から「have to」になってしまった

そんな風に思いました。

「よし! 今日もグラウンドに行くぞ」という自発的な気分と、「今日もグラウンドに行かなくては」と思う義務的な気分とでは、ほんのちょっとの違いのようでいて、実に大きな違いがある。「したい」と「しなくては」。 その間にある、とんでもない差。 「自発的でなければ楽しくない」ということは、「義務化されたとたんに楽しさは消える」ということでもある。

この「have to」になってしまっているのであれば、それに気づいて、どうやったら「want to」に持っていけるか? その工夫をする。それができるのが人間ということなのでしょうか。

僕は、学習の究極の形態は「遊び」ではないかと思っている。 遊びながら学ぶ、学びながら遊ぶ。

「遊び」の大切さを感じさせてくれる本でした!

2 Comments

竹内啓二

わ〜、ありがとうございます。
何か最高のクリスマスプレゼントです。
私もちょうど昨日、少し前の記事に紹介のあった、逃げる自由を購入し、読み始めたところです。
冒頭の「諦める力」の内容に関する記述…まさに頑張る方向が残念ながら少しズレていて、willとcanのギャップに気づかず悩んでいる同僚に、自分の勝てる場所で勝負する方向へと、それとなく伝えたい心情とマッチしてます。
続きを読むのが楽しみです。
こちらこそいつもありがとうございます。

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Natsumi Suzuki

竹内さん、コメントうれしいです!!クリスマスプレゼントだなんて!最高の褒め言葉です!

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