こんにちは、”朝5時ブログの女” なつみです。
昨日は、こちらのイベントに行ってきました。
平野さんの『私とは何か—「個人」から「分人」へ』が好きで、今回は新著である『カッコいいとは何か』を出版されたということで、その内容についてのトークイベントがありました。
平野さんの声は、落ち着いた安定感のある声で、「僕の声を聞くと、眠くなるそうです」ということでしたが、全然そんなことにはならず、ユーモアもたくさん入ったトークに、聞き入っていました。このイベントで私が感じたことをまとめたいと思います!
「カッコいい」とは何か。歴史から読み解く。
そもそも、なぜ「カッコいい」について本を書くことになったのか、という質問について。
「言葉の響きとしてはチャラいけど、「カッコいい」で、歴史が創られ、お金や、人も動いている。これだけの言葉だけど、だれも本で書いていない。10年間ずっと興味のあるテーマだった。」
「カッコいい」は、その人のアイデンティティに関わっている
「小学生のときに、バンドをやっていて、それくらいの歳から自然と「カッコいい」という感情を持ち、マイケル・ジャクソンとかに憧れるようになった。小中学生時代は、「変わった洋楽少年」 と思われていた。大学生のときに、バーテンダーをやっていて、そのときにお客さん同士が、当時のプロボクサーである辰吉丈一郎選手の「カッコいい」について大げんかをしているのを見て、「カッコいい」は人のアイデンティティに関わっているんだな。」
「カッコいい」は、「生きる」ためのディレクションになった
戦前は、モラルを守るということが大切にされてきた。でも、戦後の1960年代以降は、ひとりひとりが自分の生き方を見つける時代になった、ロック、西洋、個人主義など。この風潮があって「カッコいい」という言葉も使われるようになってきた。
ある人は、ロックが「カッコいい」と思うし、ある人は、ジャズが「カッコいい」と思う。人それぞれちがうけど、「カッコいい」ものや人に憧れるようになった。
「カッコいい」は、
- 「生きる」のディレクションになる。→ 自分が何のために生きているか? のコンパス的なもの
- 「生きている」という実感が持てる。→ 説明はできないけど「これが私が求めていたものだ」という痺れる体感がある
「恰好が良い」と「カッコいい」の違い
この歴史を読み解き、本質を探るという観点で「恰好が良い」と「カッコいい」の違いについても、興味深いお話が聞けました。
- 「恰好が良い」は、理想像がある
- 「カッコいい」は、理想像はない。
つまり、「カッコいい」には 正解はないということ。
カッコいいと思えるかどうか。この「カッコいい」という言葉が出てきたことで、価値観の多様化が認められ、新しい文化が生まれるキッカケになったのが、戦後の1960年代。
言葉が文化を創る、というのは面白かったです。
「体験」だけじゃなく「体感」
平野さんが強調されていたのは、「カッコいい」は体験じゃなくて、体感だということ。「しびれる!」 とか「鳥肌が立つ!」 「すごい!」とか、言葉にしきれない、説明しきれない感覚がある。
最近、アートは「鑑賞型から体験型へ」と言われているけど、体験と体感は違う、とのことでした。たとえば、カッコいい音楽は、歌詞で一番言いたいことが “サビ” に来る。この歌詞にストーリーがあって、それが音楽のメロディに乗って、体感として感じられる。
それから「ロールモデルが必要」みたいなことを言われているけど、これもロールモデルを理屈で説明するのではなく、なにか「その人のすばらしい演説を聞いた」とか、体感があって、初めてカッコいいと思えるということ。
「真・善・美」が一体化している
「真・善・美」の3つが一体化していると、「カッコいい」を感じられる。その例としてサッカー選手があげられました。私は、ここでイメージしたのは、本田圭佑さん。
本田圭佑さんで言うと、
- 真 → サッカー哲学を語れる
- 善 → サッカー以外の慈善活動
- 美 → サッカーのプレー
「真・善・美」の3つは、その人の“生きざま”そのもの。
「カッコいい」人は「名言」を残す
平野さんいわく、「カッコいい」人は名言を残している。いわゆる「語録」が本になっていたり、記事になっていたりする。
その人を「カッコいい」と思って体感している側は、うまく説明できないけど、その「カッコいい」本人が言葉にしてくれていることは、説得力があって、人生のお手本になる。
ここで平野さんが例に出されていたのが、ココ・シャネルと、モハメド・アリ。
「ココ・シャネル」と検索しようとしたら、「ココ・シャネル 名言」が候補として出てきました。記事から引用します。
自分にとっての「カッコいい」をどう見つけていくか
ここまで平野さんがお話されていたのを聞いていて、この正解がない時代に、「カッコいい」と思えるモノや人を持っているというのは、すばらしいことだと思いました。自分が生きるためのディレクションになるし、生きているという実感にもなる。自分のアイデンティティに深く関わっている。
じゃあ、どうやったら自分にとっての「カッコいい」を見つけられるか、について平野さんからアドバイスがありました。
- 良い友達を持つ。 →友達からおススメされたものとか、友達を通じた出会いがある。
- オープンな気持ちでいること。 →偶然の出会いに気づける。
この話の例として出てきたのは、最近アリアナ・グランデの 「thank u, next(サンキュー・ネクスト)」 を聴いて、平野さんが感激したという、ちょっと意外なお話でした。
ありがとうございました!
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