こんにちは、なつみっくすです。
私はヨシタケシンスケさんの絵本が好きです。みなさんは、何か読んだことありますか?
好きな理由は、いろいろあるのですが、その1つは「絵本に出てくるお母さんが自然体だから」です。
それから、特徴として、絵本に出てくるお母さんに「笑顔がない」。
この理由について、テレビや記事で取り上げられていて、首がもげるほど共感しました。私たち母親アップデートコミュニティがやっている活動にも通じる所が多かったので、今日はそんなことを書きたいです。
ちなみに、ヨシタケシンスケさんの記事は、こちらです。
こちらの記事から引用します。
なぜ笑顔が出てこないかというと、これは僕なりのリアルな表現なんです。実際、日常の忙しさの中では「ママ、これもらっていいー?」「はいはい」みたいな素っ気ないやりとりがリアルだと思いますし、子育てをしている中で面白いことなんて常には起きないじゃないですか(笑)。
でも、だからといって子どもといる日常が不幸かというと、決してそうじゃないんです。ニッコリ笑いかけてはいないけれど、子どもを嫌いではなさそう。子どもだって、無言で黙々と遊びながら心から楽しんでいる時はあるし、ブスッとした顔をしながら親を信頼している時もあるはず。日常の世界は非常に微妙な表情で成り立っていると思うんです。
僕は作家として、「笑顔を描かなくても幸せは表現できる」という領域に挑戦したいし、実世界がそうだと思っているんですよね。
日経DUALの記事より
最後の、作家として「笑顔を描かなくても幸せは表現できる」という言葉に、グっと来ました。
どうしても、「輝いているお母さん」を表現しようとすると、笑顔、美しい、子供にやさしい、家族がハッピー、みたいな所を切り取られがち。この記事にもありますが、メディアでそれを表現しようとすると、家族全員が笑っている写真の1枚を使われる。
それはそれですばらしい。でも、日常のほとんどは、そうでも無いかも。笑
怒ってたり、ムッとしていたり、そんな表情が無い人の方が少ないはず。
そういうリアルな中の幸せを絵やストーリーで表現しているので、ヨシタケシンスケさんの作品は共感を呼ぶ。
この記事の中で、さらに共感した所がありました。
結局、誰かと同じような子育てはできない。だったら、もう自分が今抱えている状況をまるごと認めてしまって、「これがうちの幸せ」というファイル名に書き換えるしかないんだと思います。
現実という中身は変えられないんだから、あとはそれをどう楽しめるか。同じ生活でも「子育てに時間をかけられず、不機嫌だった日々」という名前をつけるか、「短い時間でも家族で楽しく過ごせた日々」という名前をつけるかは、自分たち次第なんですよね。
日経DUALの記事より
これが、自分の「ものさし」を持つってことですかね?
「誰かと自分を比較したくない」って誰もが思うけど、これがなかなか難しい。SNSで、誰かが輝いていたり、それこそ家族全員笑顔の写真がまぶしく見えることだってある。うらやましくて、嫉妬して、そんな自分に自己嫌悪に陥ってしまったり。
特に、今コロナの影響で、アクションしている人が目立っていて、自分が毎日に追われていると、そんな人がまぶしくて、さらに落ち込んでしまったり。
それしか ないわけ ないでしょう
ヨシタケシンスケさんの絵本で好きなのは、『それしか ないわけ ないでしょう』
環境は全く変わってないのに、物の見方が変わるだけで、自分が見えていた景色が白黒から一気にカラフルになるようなことがある。
それだけ、どういう物の見方(考え方と言うのかもしれない)をするかが大切。
それは誰かが提示してくれるものでもないし、正解がある訳でもない。自分で考えるもの。そんな気づきを与えてくれる絵本。
ストーリーとして成り立っていてそれを追体験する絵本も良いけど、これは考える絵本。それから、自分の物の見方を開放してくれる。
大人にもおすすめの絵本。
大人と子供がいっしょに楽しめる絵本って、いいですね。
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