「心理的安全性」をマラソンでたとえると。

こんにちは、なつみっくすです。

今日は、「心理的安全性」をテーマに書きたいなと思います。

最近よく「心理的安全性」の言葉は聞くし、これを大切にする組織が増えてきました。もともとは、Googleの研究から生まれた言葉。

私も「心理的安全性」が高くて、良い空気感で、高いパフォーマンスが出ることも経験してきたし、その逆もある。

そして、「言うは易し、行うは難し」。

だから、多くの人が悩んでいるし、どうやったら「心理的安全性」がつくれるのか?に興味を持つ人が多い。

「心理的安全性」については、いっぱい記事も出ている。

この記事は、私の周りでもシェアが多くされていた。

心理的安全性が高い=ヌルい職場は誤解 学習するチームの作り方

「心理的安全性が高い=ヌルいチーム」ではないというのが、おもしろい視点。

基準とは、そのチームで求めているレベルのこと。これが低い状態は、いくら心理的安全性が高くても、ヌルい状態。目指したいのは、基準が高くて、心理的的安全性が高い状態。図でいうと右上の「学習と高いパフォーマンス」。

心理的安全性が高い=ヌルい職場は誤解 学習するチームの作り方(画像)
心理的安全性が高い=ヌルい職場は誤解 学習するチームの作り方  より引用

ここで私が注目するのは、基準が高くて、心理的安全性が低いときは、「不安ゾーン」になるということ。

求めるもののレベル(基準)が高いから、ある意味、置いてきぼりの人が出てくる。たとえば、ノルマを達成できなさそうで不安になるとか。

これをマラソンで例えてみると、先頭集団を走っている人もいるし、遅れを取っている人もいる。遅れを取っている人は、もしかしたら、練習不足かもしれないし、走るのが遅いのかもしれない。もしかしたら、怪我をしているのかもしれない。もしかしたら、寄り道をしていたのかもしれない。

心理的安全性が低いチームだと、遅れていることを責められるんじゃないか、もし「怪我をしている」ってことを言ったら、「なんで、怪我をしたんだ!」って責められるんじゃないか、と不安になって、それを言えない。ましてや、「寄り道をしていました」なんて、絶対言えないって思ってしまう。

このケースの場合、先頭集団だから偉いという訳でもないと私は思うが、何となく先頭集団にいると、先頭が偉い、正しいとなりがちなのかもしれない。そちらの立場が強くなるというか。

「受け止める」と「受け入れる」の違い

私は、最近よく「受け止める」と「受け入れる」の違いを考える。

「受け止める」は、ほんとに大切だと思う。

これができているか、できていないかは、心理的安全性に大きく左右すると思っている。

たとえば、マラソンのケースだと、「寄り道をしていました」と打ち明けた人に対して、先頭集団を走っていたら、怒りを感じても当然なのかもしれない。でも、第一声から「寄り道はありえない!」「いいから先頭集団について来い!」と頭ごなしに怒ったり、「お前はクズだ!」とその人の存在自体を否定したりすると、心理的安全性は損なわれてしまう。ここで、相手が言葉を無くすくらいの長い言葉も、威圧感を与えてしまうかもしれない。

ここまで明確じゃなかったとしても、そのあと、その人から言葉が出てこなかったら、心理的安全性が危うい状態(相手が萎縮して、不安な状態)になっていると思う。

怒りが沸点に達しているなか、「受け止める」のは難しいだろう。「はぁぁ、なんで、こっちに付いてこないんだ」と憤慨する気持ちもあるだろう。

でも、いったん「受け止める」ことは、やっぱり大切なんじゃないかと思う。

「寄り道をしてたんだね、それで遅れてたんだね」と受け止める。
「それを言ってくれて、ありがとう」なんて、 言えなくてもいい。なにより、この状況に置いて「寄り道をしていました」と言うのは勇気がいること、それを、まず受け止めてほしいと思うだろう。

では、この状況での、「受け入れる」とは何だろう?

「いっしょに寄り道をしよう」とかでしょうか。「寄り道をしてたんだね。」の受け止めると、「いっしょに寄り道をしよう」の受け入れるは、違う。

別に受け入れなくていい、でもまず受け止めることは大切。チームメンバーであれば、これを大切にしたいと私は思う。

私は、通称・イモニイと呼ばれている井本陽久先生のスタンスが好き。はっきり言って、「仙人」みたいな方なので、その領域にいくのは、マザーテレサくらいじゃないかとも思う。子供たちの「ダメダメ」なところを、ひたすら受け止める。別に「すごいね!よくできたね!」と褒めてるわけじゃない。「あ、鉛筆持ってるね」「絵を描いているね」と、受け止める。

チームとして目的を達成しようとしたり、パフォーマンスを高めたりしようとすると、マラソンの例えのように寄り道をしていたり、遅れてしまっている人が煩わしくもなるだろう。その人たちに構っている暇は無いと言う人もいるだろう。いちいち、そんなの受け止めていたら、いつまでたっても前に進めないこともあるかもしれない。

「誰も取り残さない」なんて理想論だ、とも思う。

だから、いつもジレンマがある。

マラソンにたとえてしまうと、先頭集団が正に見えるかもしれないけど、決してそうでもないんじゃないか。あくまでも全員フラットだと思う。もしかしたら寄り道をしたことで、新しい発見があって、ものすごい成果に繋がるかもしれない。ある道では遅れを取っている人も、別の道では先頭集団を走っているかもしれない。

チームって、ほんとに難しい。

心理的安全性も、ほんとに難しい。

これを書いていて、「受け止める」ことを、私は全然できてないなと反省する。それはちょっとした言葉なのかもしれない。オンライン生活が長くなってしまった今では、その難易度も上がる。

でも、「受け止める」を意識していきたい。

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