『ミライの授業』で一番感動した偉人の話-日本の「男女平等」

みなさんは、『ミライの授業』という本を読まれましたか?

「私の著作活動は、この一冊のためにあった」――ベストセラー『僕は君たちに武器を配りたい』の著者・瀧本哲史さんが全国の中学校を訪れて開講した特別講義「未来をつくる5つの法則」のエッセンスが本になりました。これからを生きる14歳に、そしてかつて14歳だったすべての人に届けたい一冊です。

Amazonの商品ページから引用

この本では、世界の偉人のエピソードが瀧本さんの視点で語られています。

単なる「歴史の勉強」ではなく、どのような偉人が、どのような思いで、そのことを成し遂げたか、そこにはどんな物語があったかが語られています。

このなかで感激したのが、 ベアテ・シロタ・ゴードンさんのお話。

初めて、お名前を聞きましたが、こんなにも偉大なことをされているとはびっくりしました。

ベアテさんは、日本に「男女平等」という概念を持ち込み、定着させた女性。男尊女卑で女性が虐げられていた日本社会をたった一行のルールでひっくり返した女性です。

『ミライの授業』より

ベアテさんは5歳のときから家族とともに日本に移住。お父さんは世界的に有名なピアニスト。お父さんが日本に惚れ込んだのと、ユダヤ人であったため、ヨーロッパが世界恐慌で反ユダヤを掲げ、住みにくくなってしまった。

宗教差別のない日本が居心地が良かったという訳です。

ベアテさんは小さい頃から移住していたこともあり、語学力が半端ない。日本語、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語、スペイン語ができたそうです。

アメリカの大学に進学を決めてからは、学生をしながら翻訳者として働いていたそうです。その流れで、ニュース雑誌『タイム』の外国部で働くことに。

ここで、男女の不平等さを痛感したそうです。

当時の『タイム』では記者になれるのは男性のみ。女性は、女性と言うだけで、アシスタントの仕事しかできない。

そのあと日本に戻ってきてから、その圧倒的な語学力を活かして、日本の憲法の草案をつくる仕事にたまたま関わることができたベアテさん。

自分がアメリカのときにもった男女の不平等さの違和感を、この日本の憲法の草案に盛り込むチャレンジをされています。

憲法草案会議での、逆転ホームラン

日本では「アマテラス」という女神を崇拝し、古代には何人もの女帝がいたし、紫式部や清少納言などの女流作家も活躍していた時代があった。

そのあと、サムライの男たちが国を支配し、女性の立場が圧倒的に弱くなった。「女 子ども」という呼び名で半人前扱いをされ、男女差別が当たり前になった。

草案づくりのときに、9日間という限られた時間で、調べられる限りの国の憲法をリサーチし、女性の権利を主張する草案にまとめたベアテさん。

ただ草案を受け取った日本政府は、これをかなりの部分修正して、憲法草案会議を迎えることになった。

この会議にベアテさんも参加していたが、あくまでも自分の意見を主張できない通訳という立場。

当時、22歳の民間人女性であったベアテさんですが、会議に参加していた人たちから絶大な信頼を得ていた。それは、彼女の日本語力や、日本に対する理解の深さや献身的な態度があってこそ。

ベアテさんがまとめた草案を通してくれてという主張の声が上がり、逆転ホームラン的に、ベアテさんの草案が採用されることになったそうです。

当時の世界にとっては、先進的な男女平等の条項が、日本にできた。

ベアテさんは、無名で、権力が無い立場で、自分が持っていた違和感から、社会のルールを変えた。

パワーで押し切るのではなく、熱心に自分でリサーチして、自分の主張を言い続けて、地道に信頼を獲得していった。そして、それだけだと社会は変わらないことに気づいた。「ルールを変える」ことに一心不乱になった。

決して声が大きかったわけじゃない。

献身的に色んな人と接して、ルールを変えた。

自分で「運」を勝ち取っていったようにも見える。

こういうやり方で、社会のルールを変えられることもあるんだ、と勇気をもらえたエピソードでした。

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