「共感」を使いすぎているかも。「受容」と「理解」との違い。

最近、何かと「共感」という言葉があふれている。

「共感」のインフレを起こしている気がします。

と言っても、ほんとにそれが「共感」のことを指しているのか、自分のなかで考えたいなと思っています。

私も、よく「共感します!」という言葉を使っているので、あえて「共感」という言葉を使わずに、他の言葉で表現してみたい。

そもそも「共感」とは?

「共感」とは辞書によると、「相手と同じ感情になること」

私が今日考えたいのは、「受容」と「理解」と「共感」の違い。

「共感します」は良く使うけど、

「受容します」もしくは、「受け止めます」という言葉は使ってないですね。

「理解します」も、思ったほど使っていないかも。

「受容」

まず大切にしたいのが「受容」。

その人のありのままを受け止めるということ。

相手のことを否定しない。

ついつい、相手のことを評価したり、自分の判断を加えてしまうけど、そうではなく、その人自体の存在を受け止める。ここには自分の価値観を入れない。

「受け止める」と「受け入れる」は違くて、そこには線があると思っているのですが、「受容」は「受け止める」だと思っています。

「受け入れる」が同意になるかと思うので、それとは違う。

どんな態度で、話しを聴き、相手を受け止めたらいいか?

意識したいことを書き留めておきます。

  • フラットである : 自分がフラットな状態で、偏見を持たないことを意識する。どちらが上という立場ではなく、対等な関係であること
  • 「聴く」姿勢である : その人の話しを、目で見て、耳で聴き、話を聞く姿勢である
  • 否定しない : 相手のこと、相手の言っていることを否定しない

「受容」は、相手のすべてに自分が同意することではない。仮に自分と相手の価値観が大きく違っていても、その違いを乗り越えて相手が存在することを認め、その中で新しい関係性をつくっていくこと。

「理解」

次に考えたいのが、「理解」。

辞書によると、「理解」とは、このような意味があります。

  • 物事のすじみちをさとること。わけを知ること。物事がわかること。 「文意を―する」
  • 人の気持や立場がよくわかること。

こう考えると、「受容」と「理解」は違うものだと分かります。

「共感」

そして、最後に改めて考えたいのが「共感」。

共感について、心理学者のアルフレッド・アドラーは、「相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じること」と定義しています。

その人と同じように感じているかどうか?

「理解」して、「共感」することもあるだろうし、

「理解」はできないけど、「共感」することもある。

「共感」はできないけど、「理解」することもある。

今やクラウドファンディングでお金を集めるのは、良くあることになってきましたが、「共感を集めよう」と気軽に言ってしまう。

これに対して、異論を唱えているこの記事が興味深いです。

クラウドファンディングの現場ではしばしば、「どうやったら共感してもらえるか」という議論が交わされます。でもそれって言い換えれば、プロジェクトの概要を読んで「我々と同じような感情になってもらおう」と考えていることになるわけでーーあまりに難度が高く、おこがましい話ではないかと思い至ります。

そもそも共感ってそんなに必要なものなのでしょうか。ものごとへの興味や理解、あるいは愛情のベースには、その対象への共感がなければいけないのでしょうか?

上記noteより引用

必ずしも、クラウドファンディングに「共感」は要らない。

「共感疲れ」という言葉も耳にするくらい、「共感」をすることは疲れるし、人の心のキャパには限界がある。

むしろ、「共感してもらいたい」とは、おこがましいことだなと思いました。

「受容」と「理解」と「共感」、この言葉の違いを意識していきたいです。

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