昨日は、「コミュニティ」をテーマに、こちらのトークイベントに参加していました。
河原あずさんのMCがすばらしく、あっという間に1時間が過ぎていました。
私たち母親アップデートコミュニティが大切にしているルールである「誰も否定しない」とか、お互いを認め合う、だからこそ可能性のボタンを押し合えるということをお話しました。
参加者の方のツイートもうれしいです。
この中で、あずさんから印象的な質問がありました。
「なつみっくすさんは、フラットな考え方を大切にされているのですが、その元となる経験とかあるんですか?」
これまでいただいたことない質問だったので、すぐに答えが出てきませんでした。
こうやって相手が考えたこともない質問をできるのは、さすが、あずさん!と思います。
ちょっと考えて、答えたのがこちらの内容でした。
- 「私は、もともと対立が好きじゃないので、AとBが対立するのであれば、どちらもが納得するC案が無いのか? を考えたい」
- 「ピラミッド型組織で、上にいる人が偉いわけじゃない」
この答えに嘘は無いのですが、もうちょっと深堀りしてみると、自分のなかでトラウマがあることに気づきました。
今日はそれを書きたいなと思います。
「フラット」を大切にしている理由
私が幼少期から小学生くらいの原体験なのですが、家庭がうまくいっていませんでした。
私の父は、良いところもいっぱいあるのですが、「男は上」「役職がある人が偉い」という考えを持っている人でした。私は、ここに違和感というか、嫌悪感があったことを思い出します。
たとえば、外食をしにいったときに、「客は神様」みたいな感じで、お店の人に上から目線で接してみたり、そういう言葉を使ったり。
「もっと、早く持ってきてよ」
とか。父はせっかちな性格だったので、しょっちゅう言っていました。
父は家族経営の自営業をしていて、その社長をやっていました。あとは、時代的に「男は外、女は内」という考え方が濃い時代だったことも影響しているかもしれません。
それもあり「自分が立場が上」というのを強く思っていて、それが言葉や行動に表れていた。それに対する違和感やモヤモヤが積もりつもって、家族の仲はどんどん悪くなっていったと思います。
結果として、父と母は別居することになり、私は母子家庭で育ちました。
自分でも今回質問をいただくまで気づいてなかったのですが、このときの原体験から、私は「立場が上だから偉い」みたいな考え方が嫌いになってしまったんだと思います。
思い返してみると、社会人になってからも、
後輩が仕事をお願いしている代理店の人に、かなり上から目線で、
「なんで、これできないの?」「もっと早くやってよ」
とか言っていることに、不快感を覚えていました。
「いやいや、仕事をいっしょにしているパートナーなんだから、その言い方はやめようよ」と言っていたことを思い出します。
私自身は、「フラットであること(対等な関係であること)」を大切にしたい。
でも、まだまだ理想と現実は程遠く、「自分なりにフラットであるには、どうしたらいいか?」を日々、自問自答しています。
極めて個人的なことなのですが、大事なことを思い出したので、今日は包み隠さず、書いてみました。
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