2日前から、自分軸を持つことの大切さと、自分軸を持つことがWell-being(持続的な幸せ)につながることを、ブログに書いています。
「自分軸」テーマのDay3です。
「自分軸」を持つことが、Well-beingにつながる。 「自分軸」を持つと、承認欲求から解放される。今、「自分軸」を持つためのプログラムを開発していることもあり、
これから、しばらく「自分軸」をテーマに書いていきたいなと思っています。
「自分軸」を持つことが、Well-beingにつながるイメージ。
- 「自分軸」を持つ : 根っこ
- 「自分」を生きる : 芽が出る
- 「つながり」という栄養を得る : 太陽
- 「Well-being」な状態になる : 自分の花が咲く
「自分軸」に大切な「課題の分離」
これは、昨日のおさらいです。
承認欲求から解放されるため、他人軸から自分軸に変えるために大切なのが、「課題の分離」。これは、「嫌われる勇気」ということもできると思います。
「課題の分離」とは、「自分の課題」と「他者の課題」を明確に分けること。
「自分の課題」には取り組むけど、「他者の課題」には踏み込まない。
自分にウソをつかない。自分の信じるベストな選択をする。これが「自由」な状態。
この自分の選択について、他者がどう思うかは、「他者の課題」。
親と子の「課題の分離」
親が子をコントロールしてしまうのは良くある。私もよくもがいています。
知らず知らずのうちに、自分の中での「理想の子ども」像があって、公共の場所ではおとなしくして欲しい、人に迷惑かけないで欲しいとか、無意識のうちに思っています。
この「理想の子ども」像とのギャップを、減点方式で考えてしまっているのかもしれない。
そうではなく、目の前の子どもを見つめること。
そして、子どもの課題を切り分けて、そこには踏み込まない勇気を持つこと。
どの選択による結末を最終的に引き受けるのは誰か?
それによって、誰の課題かが明確になる。
子どもが「勉強をしない」ことは、親のあるあるの悩みだけど、勉強をしないことでその結末を引き受けるのは子ども。つまり、これは「子どもの課題」であること。
それに対して、親が「勉強をしなさい」と言うのは、「子どもの課題」に土足で足を踏み入れていることになる。
見守ること。
でも「放置」という訳ではない。助けを求められたら援助をすることが大切。
アドラーが有名になった本『嫌われる勇気』に書いてあった、この喩えが好きです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることは出来ない」
「水辺に連れて行く」という援助は「自分の課題」、それ以降の「水を飲むか飲まないか」は「他者の課題」。
「他者の課題」 はコントロールできない。
アドラー心理学的に言うと、「他者の課題」には一切負い目を感じず、気にする必要はないんです。
そう思うと、「課題の分離」をしっかりして、
- 「自分の課題」に集中する
- 「他者の課題」は見守る
ことをトレーニングしていきたいなと思います。
そうすることで、悩みやモヤモヤを自分の中で解消できるようになる。
「結末を経験させ、自分で結末の責任を取り、そこから学ぶ」機会
「課題の分離」 が大切だと言っても、それは理想論だよね、という気持ちもあります。
現実には、「勉強しないと、成績が落ちるから」「受験に失敗して、良い学校に進学できないから」「学歴がないと、良い仕事に就けないから」。と、「勉強しないと、大変なことになるぞ」と子供を脅したり、「勉強したら、ご褒美をあげる」とエサで釣ったりしてしまうもの。
アドラーは「結末を経験させ、自分で結末の責任を取り、そこから学ぶ」機会を与えることを説いています。
どうしても自分が親としてイライラしてしまうのは、「自分の課題」。
子どもをコントロールするのではなく、自分のイライラを解消する別の方法を探す。
まず概念で理解して、実践でトレーニングして、また概念に立ち戻る。
こういうサイクルで、ちょっとずつ自分の中に染み込ませていきたいです。
コメントを残す