今話題の本『シン・ニホン』に書かれている言葉に、「Life as value(ライフアズバリュー)」があります。
著者の安宅さんが出ているインタビュー記事にも、このテーマが書かれています。
ここに至るまでの考え方を整理します。
- ワークライフバランス (仕事とライフをうまくバランスする)
- ワークアズライフ(仕事はライフそのものである)
- ライフアズバリュー(多様であることから自然と価値が生まれていって、所得構造も根底から変わる)
ライフアズバリュー
『シン・ニホン』の中では、第5章でこの考え方が提唱されています。
第5章では、国家予算の中で、社会保障費にどれくらいの費用が割り当てられているか、それに対して若者への投資が圧倒的に少ない問題が浮き彫りになっています。
若者に、そして未来にリソース配分を変えることが大切で、その具体的な提案がまとめられています。
そのなかで、シニア側の打ち手となるのが、「ライフアズバリュー」の考え方。
65才になったら定年退職して、伐採されるのではなく、社会の極相林化を実現することが大切。
極相林とは、生物学の言葉で、さまざまな多様性を保った状態で安定的な状況に入った森のことを言うらしい。
たしかに、人生100年時代と言われているのに、シニアになっても、どう生きがいを持ちながら、社会に貢献していくか? は考えていきたいテーマ。
社会に価値を生み出す側に回るのか?
それとも、社会にケアされる側に回るのか?
どう考えても前者のほうが、生きがいを持って暮らせると思う。
正直言うと、自分が70才、80才になったときに、どんな思いでどんな生活をしているかは、あまり想像できない。
でも、誰かに必要とされるような存在で居たいし、社会に価値を生み出す側で居たいと思う。
この前の『シン・ニホン』読書会でも、ここは盛り上がりました。
メンバーの1人から名言がでたので、ここに書いておきます。
「体が動かなくなっても、布団の中でも、稼げるB B A(ババア)になる」
「あなたは何のために働いているのか?」の問いに、家計のため、子供のため、老後のため、、、ではなく「今この瞬間を生きる私のため」と胸を張って言える自分でいたい。
この言葉に触発されたメンバーが居て、読書会後もやり取りが続いていたのが印象的。
愛の循環
もう1つ、第5章に書かれていて印象的な言葉が「愛の循環」。
日本の国家予算の配分は、シニアに寄っていて、若者はごくわずか。
これを家庭における食事に喩えると、シニアは十分に豪華な食事を食べられているのに、若者・子どもはメザシだけ、という悲惨な状況。
アメリカと日本における寄付文化やエコシステムの違いも書かれていますが、「愛の循環」が回っていないのが日本。
たとえば、日本で大学卒業後に自分の大学から寄付の依頼が来たとしても、寄付をする人が少ない。
何が「愛の循環」なのか? というのを、昨日の『シン・ニホン』読書会で、みんなでディスカッションしていました。
ざっくりまとめると、「愛の循環」とは、自分を起点にして誰かにGiveをすること。これが自分に戻ってくることを期待しない。
どうしても、日本ではGive & Takeの考え方になってしまいがち。
でも、Giveしたら忘れる。回り回って、これが誰かの役に立つ。
「共同体のなかでの当事者意識を持つことが鍵だよね」とか、
「これは流れるプールじゃなくて、波のプールだよね」という興味深い話もでました。
流れるプールは、ある流れがあって舞い戻ってくるけど、波のプールはどこに行くか分からない。自分の愛が流れてしまうことが前提。見返りの求めない愛。
深くて、愛にあふれたディスカッションができました。
コメントを残す