今日で5日間連続で読書会をしています。
数ヶ月前はそんなこと思ってもみなかったのですが、読書会にハマっているわけです。
その理由は、いい議論をするのが好きだから。
読書会のファシリテーター養成講座に参加していて、「いい議論」について、色々と学んでいます。
今日は、「いい議論とはなにか」のテーマで書いていきます。
目的が明確であること
そもそも、いい議論とは何かを考えるうえで、その議論が何のためにあるか?の目的が大切。
参加者ひとりひとりが、議論に参加する目的が明確になっていること。
たとえば、読書会であれば、
「⾃分の意⾒を発⾔し、⼈の意⾒を聞く ことから、⾃分の意⾒がさらにアップデートされること。」となる。
これは議論に参加するメンバーを募集するうえで、その募集のときに明確化されていることが良い。
全員が「いい議論」の⽴役者になること
よく会議とかで発言はしないけど、その場にいるだけで良しとされる風潮が日本ではある。
私も、その風潮に甘えてしまうことがあるのも事実。
でも、「いい議論」とは、全員がいい議論の立役者になること。
つまり参加しているのに発言しない、という人がいない状態を目指す。
そのために大切にしたいことは
- 他人に関心を持つ(心理的安全性)
- 話すより、聞く姿勢
- いい問いを投げる
よく「心理的安全性」という言葉も聞きますが、やはり「いい議論」をするうえで、必要になると思います。
なので、議論の前に自己紹介をしておく、もしくは議論の最初に自己紹介をするとか、他己紹介をするとかで、「他人に関心を持つ」機会をつくる。
この前のブログで、「他己紹介が盛り上がった件」について書きました。
なんで、人は「自分のことを知ってもらう」のが好きなのか?お互いのことを良く知っていると、あの人はどう思うのかな? と意見が聞きたくなるし、その人の意見を引き出せるようになると思います。
ファシリテーターはもちろんですが、ファシリテーターじゃなくても、全員が議論に参加できるように、目配り、気配りすることが大切。
もし参加していない人がいれば、「〇〇さんは、どう思いますか?」と話しを振ってみるとか。
他人に触発される
議論というのは、2人以上でやるもの。
参加者が、ただただ自分の意見を言って、それをシェアしあって終わりであれば、何の意味もない。
誰かの意見に触発されて、「あー、〇〇さんの意見を聞いて、私は今こう思った」とか「〇〇さんの意見から、今気づいたんですけど」と話が発展していくのが、いい議論。
ただ自分の意見を言いたいだけだと、いい議論にならない。
どれだけ、お互いが触発しあって、その会の前には考えてもいなかったような気づきが得られるか?
参加者ひとりひとりの気づきの総量が、いい議論の証なんだと思います。
参加者としては、他人の意見にきっちり耳を傾けながら、そこから触発された自分の意見を言う。
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