こんにちは、”朝5時ブログの女” なつみっくすです。
この前のブログで、母親アップデートコミュニティの「誰も否定しない」が神ルールと言われた理由について書きました。
「誰も否定しない」が神ルールと言われた理由このブログにも、色々と反響をいただいて、うれしい限りです。せっかくなので、いただいたコメントをまとめてみますね。
先日の1周年イベントのゲストに来ていただいた栗栖さんより。そうなんですよね、簡単そうで難しいんです!それがルールとして成立できていることが、すごいなーと実感しました。ありがとうございます。
こちらのnoteには、この「誰も否定しない」について書いたブログを引用いただきました。
ClarityというワーキングマザーのロールモデルのSNSサービスをされている、さとみんさん。
少し引用させていただきますね。こんなに書いてもらえてうれしい!
みんながみんな、それぞれの理由付けで「自分ってすごい!」って思えてる世界は幸福度高いし平和な世界で、まさにHUC(母親アップデートコミュニティ)はそれを体現している。
「誰も否定しない」ってすなわち、相手の自分がすごい!って思える理由付けを否定しない、ということで、異なる理由付けは共存し合える。
たとえば「管理職と子育てを両立していて私すごい」って思ってる人と「私は専業主婦で子供の受験をフルサポートしていてすごい」って思ってる人が、お互いにすごいね!って心から思うことは本当にできる。うわべだけのお世辞の言い合いでもなく、本当に。HUCコミュニティに(私は母親ではないけれども)参加させていただいたことがあるのですが、まじでパワフルで前向きですごかった。(元気すぎて、事後、日焼けしたあとの疲れに似た感覚すらあったほどw)
ほんとにそう!「お互いにすごいね」って心から思うというのは、理想論に聞こえるかもしれないけど、実現できる。
コミュニティメンバーからの声
わたしも入ってすぐにルール全体が素敵だと思った!だからみんな発言しやすいんだと思う
当たり前といえばそうなんだけど、とてつもないパワーがあるルール ほんとこれで「私は私でいいのかも」と思えてきたし、今まで迷っていた一歩も踏み出すことが出来る 心理的安全性ってよく聞くけど初めて体感できています!
この神ルールがあるから、 HUCは凄く居心地が良い
このルールは偉大だと思います。 このルールはメソッドなどにも応用できるな。良いものは一つじゃないし、 何かをすれば完璧なんてものはないし。
誰も否定しない。という HUC のルールは、まさに神ルール
「ルール=縛られる」ってイメージがある。でも、否定しない・されないことでメンバーや自分が解放される
「キラキラだって良い、ギラギラだって良い、バリキャリだって良い、ワーママだって…」 懐かしい!このメッセージ通りに進んで来て、とんでもないところまで来ちゃったなぁって感じ、あります。
HUC 唯一のルール「誰も否定しない」⇒これは絶大。心理的安全性の高いコミュニティ環境が構築されるというロールモデルになったと思う。私が挑戦し続けることができた背景にもこの神ルールあり!
「誰も否定しない」が響くのは、「不当に自分を否定しがちだから」。
女性、特に母親は環境変化が大きく、内面化しやすい。
「受け止める」と「受け入れる」のちがい
そして、こんなコメントも。
「誰も否定しないってそんなに大事?」について。
すっごく個人的な、ただただ私が感じていたことで申し訳ないですが…
私は今まで、会議とか話し合いで自分の意見を言ったときに、「それは違うんじゃないかな?」と言われると、意見否定=自分の存在否定に捉えがちでした。「あぁこんな変なこと言っちゃう私はやっぱりダメだ。わかってない」と…。
でも、HUCで「だれも否定しない」と言ってくれたおかげで、『存在を認めてくれる』という絶対的安心感ができました。
その安心感の中にいるので、こうして思ったことを書いてみたり、ミーティングで話してみたりできてるんだろうなぁーと感じています。あと、「受け止める」と「受け入れる」の違いも考えるようになりました。「あなたの意見はそうなんだね。」と意見は受け止めるけど、それ採用!と意見を受け入れるのは別であると…。
そして、人は大抵受け止めてもらえたら、ある程度満足する。子どもにも「うんうん。このおやつ食べたかったよねぇ。」と食べたい気持ちを受け止めると、泣き止んだりします。そんな感じかな…と。
こうやって率直にコメントをもらえることが、ほんとにうれしい。
そして「意見否定」と「存在否定」についてコメントさせていただくと、「誰も否定しない」とルールを掲げることが大切なんだなと。
HUCは、このルールのお陰で、良い意味ですっかりカオスです。(笑)
ただカオスは悪いことではなくて、むしろ本当の意味で「チーム」になるのに必要なことらしいです。そんな話を、この前のブログに書きました。
「グループ」「カオス」から「チーム」へ変化。1年やったことと「心理的安全性」「誰も否定しない」というルールを掲げていると、たとえば自分が意見を言った後に、他の人が違う意見を言ったり、自分の意見に対してフィードバックをしてもらえたときに、「存在否定」されたとは感じない。なんなら「意見否定」されたとも感じない。それぞれの意見があるんだねー、という気持ちになる。
そして、 「受け止める」と「受け入れる」の違い。「誰も否定しない」とは、その人の存在、意見を「受け止める」ことではあるけど、意見をすべて「受け入れる」というわけではない。これ、大事。
実は、ここに悩んでいたり、「誰も否定しない」というルールが、ある意味自分のなかで邪魔になってしまったこともある。コミュニティを全体として前に進めたいと思うと、すべての人の意見を受け入れることはできないから。あるときは、独裁みたいなことも必要だし。それをうまく言語化いただき、ありがたい。
コミュニティ外の皆さまからは、このようなコメントもいただきました。ありがとうございます!
そして、こんなコメントも。
「誰も否定しないってそんなに大事?」について。
すっごく個人的な、ただただ私が感じていたことで申し訳ないですが…
私は今まで、会議とか話し合いで自分の意見を言ったときに、「それは違うんじゃないかな?」と言われると、意見否定=自分の存在否定に捉えがちでした。「あぁこんな変なこと言っちゃう私はやっぱりダメだ。わかってない」と…。
でも、HUCで「だれも否定しない」と言ってくれたおかげで、『存在を認めてくれる』という絶対的安心感ができました。
その安心感の中にいるので、こうして思ったことを書いてみたり、ミーティングで話してみたりできてるんだろうなぁーと感じています。あと、「受け止める」と「受け入れる」の違いも考えるようになりました。「あなたの意見はそうなんだね。」と意見は受け止めるけど、それ採用!と意見を受け入れるのは別であると…。
そして、人は大抵受け止めてもらえたら、ある程度満足する。子どもにも「うんうん。このおやつ食べたかったよねぇ。」と食べたい気持ちを受け止めると、泣き止んだりします。そんな感じかな…と。
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